燃えるピアノ再演!!


防火服で炎上ピアノ演奏、ジャズピアニスト山下洋輔さんが熱演--MSN産経ニュース

2008.3.8 20:34

防火服を着て、炎上するピアノを演奏するジャズピアニストの山下洋輔さん=8日午後、石川県志賀町 ジャズピアニストの山下洋輔さん(66)が8日、石川県志賀町の海岸で35年ぶりに炎上するピアノで演奏に挑んだ。

 午後5時すぎ、防火服姿の山下さんが演奏を始めると同時に点火、程なくピアノ全体が炎に包まれた。バチバチという破裂音の中で、音程が狂っていく鍵盤をたたき続ける“熱演”に約450人の観衆は息をのんだ。

 約10分後に「鍵盤の間からも煙が出て限界が来た」といすを離れた後、ピアノが燃えるのをしばし見つめた山下さんは「ああいう時間、空間は地球上のどこにもない」と感慨深げだった。

 前回の挑戦は昭和48年で「炎上ピアノを弾く男」として山下さんの名を広める契機になった。「あの時得た表現は何だったのか再確認したい」という思いが強く、再演が実現した。

1月5日の書き込みで、洋輔さんの35年前のパフォーマンス「燃えるピアノ」を紹介していたが、何と洋輔さん、つい先日これを再現していたんですね。事のきっかけは金沢21世紀美術館の企画展「荒野のグラフィズム:粟津潔展」の開催を機に、山下さんが同館に申し出て実現したとの事。

以下は金沢経済新聞から引用

山下さんは、「『ピアノ炎上』撮影当時は、粟津作品のオブジェとしての役割を全うしたと同時に、ほかの誰もやらなかったある芸術表現を獲得したのでは」と振り返る。「おれは一体、何をやったんだ、何だったんだ、というのを、どうしても再確認したい」(山下さん)。依頼を受けて演奏した35年前とは異なり、ピアニストである山下さん自らが表現として選んだ、新たな「ピアノ炎上2008」の誕生。これに先立ち、山下さんは2月17日、同企画展展示室内でライブを行い、壁に映し出されるかつての自分との共演を果たした。

 「ピアノ炎上2008」の会場に選ばれた海岸のある旧富来町は、粟津さんの父親の出身地。幼くして列車事故で父を亡くし、事故の新聞記事と数枚の写真でしか父を知り得なかった粟津さんは父への強い思いを抱き続け、父のふるさとである同町に何度も足を運び、同町のシンボルマークのデザインを手がけるなど、縁が深い。

 演奏当日、山下さんが使用するピアノは、製造後何十年も経ち、廃棄を待つのみという古いピアノ。製造・修復や解体、そして処分まで、ピアノの「ゆりかごから墓場まで」を共にするピアノ工房カナザワ(古府3)の岩田雅久さんが、当日も現場に立ち会い、鎮魂の意を込めて1台のピアノの最期を見届ける。山下さんは「心からの愛情を持って葬送のレクイエムを弾きたい。同時に、この演奏を、1973年の映像作品『ピアノ炎上』、それを制作した粟津潔という実験精神にあふれる芸術家、さらに60年代の実験的前衛的芸術運動全てへのオマージュとしたい」とのメッセージを寄せている。

 同企画展を企画した不動美里学芸課長は「同企画展は、粟津さんが拓いた表現の地平の21世紀における意味と新たな価値を見出そうとする試みで、展覧会場そのものが新たな創造の発信地となることを目指している。今回のイベントは、かつての出来事の再現ではなく、まさに新たな創造の発信。そこには20世紀という近代合理主義の時代を経て、今を生きる人間のさまざまな深く複雑な思いが重なっている。海と空、大地と火とともに人間が取り行う祈りにも似た出来事、この厳粛な表現の現場を見守りたいという人々に一緒に立ち会ってほしい」と話している。

アジアのどっかのTV局でも紹介されていた。ピアノの蓋が焼け落ちた後、供養に立ち会った坊さんが鳴らす鈴の音が絶妙のタイミング。笑わせてくれます。

今回の重装備と比べると、35年前の、明らかに軽装での挑戦がかえって凄いものに思えてくる。演奏も普通のピアノと余り変わらない。先日紹介した「天使の恍惚」での映像も、この前年の1972年だったが、一体どういう時代だったのだ(笑)。

人気ブログランキングへ